群青
Gun-Jou
<1>
海神 悠
WADATSUMI, Yuu
群青 <1>
まことの家はコンクリートの塊だった。
人を拒絶するかのように道に沿って伸びた分厚いコンクリートの壁の中に、埋まるようにある車庫のシャッターと立派な門扉。その向こうに見える建物も、やはりまるで一続きのように同じようなコンクリートで出来ていた。
光克はその前に立って、気後れがしていた。
光克の住んでいた地域は江戸の昔からの住宅街だったから、古いお屋敷街も、密集した小さな木造家が軒を連ねる路地も、庭の広い戦後の高級住宅街も、都心の主要幹線道路沿いの宿命で表通りの皮一枚くらいはビジネス街の趣さえあったけれど、不思議にこういった周辺との隔絶感はどこにも感じなかった。たとえお屋敷の主でも気安い感じであり、長く続く土塀も親しみこそあれ、拒否感は感じなかった。逆に光克は愛着さえ持っていた。それに比べればさして広くもない敷地の中に建つこの建物が何故こんなに威圧的なのだろう?まるで外の人間は敵だと言わんばかりだ。
まことは門扉を開け、玄関を開けると
「ちょっと待ってて。車を入れちまうから。上がってて。誰もいないから」とそう言って、また車へ駆け戻っていった。
その後ろ姿を目で追いながら、仕方なく光克は気後れしながらも中へ入った。静まり返った屋内を見た瞬間、思わずそのまま後にしたくなりはしたが、そうするには肉体的にも精神的にも縛られていた。相手を得た欲情、解放された欲望、不安以上の期待。身体が磁石で出来ているような気がしていた。もう戻ることは出来なかった。
玄関も玄関ホールも広かった。正面の壁にはリトグラフが飾ってある。光克は所在なくそれを眺めていた。いい絵だった。たぶんこれがくどくどした花の絵だったりしたら、いたたまれなかったと思う。しかしその絵は早春の里山を描いたあっさりとした風景画だった。春先の土と緑の匂いを思い起こさせる絵だった。光克は、外観ほど威圧的ではないのかも、と思いながら絵を眺めていた。
まことは焦っていた。
逸っていたのではない。焦っていたのだ。理由は簡単だ。一人にしておくとあいつは、光克は何も言わずに帰ってしまうかも知れない、そう思ったからだ。そう思う必然は何ひとつなかったけれど、まことには、今、光克を一人にしておいたらそうなる可能性は高いとわかっていた。
「チッ!」
また切り返しに失敗して、まことは舌打ちした。こっちへ、日本へ戻って半月、遠出は今回が初めてだったが、近くまではちょろちょろと出かけていた。車庫入れが初めてというわけでは毛頭なかったのに、一昨日まですんなり入ったものが何故入らないのか、焦っていたから、だ。
深く息を吸って吐く。三度目はすんなり入った。
急いで車を出ると、シャッターを下ろすのももどかしく、慌てて玄関へ駈けた。勢いにまかせて飛び込び、驚いて振り向く光克を見て、まことはホッとした。ほっとして思わず顔が笑んだらしい。光克がびっくりしつつもかすかに笑って寄越す。まことは本当に嬉しかった。
*
しんとした屋内、二人きりなのだ。やっと、二人きりになれた。そう思うと、僕は本当に嬉しかった。
逸る心を抑えて、光克に近づくと僕はそっとあいつを抱きしめた。
「やっと二人きりだ…」
「……」
あいつは何も言わず、僕にはっきり応えもしなかった。僕はもう、それほど期待はしていなかった。光克がリードするなんて、そんな期待は捨てていた。たぶん星赤さんは光克に何もしていない。たぶん光克にこういう経験はない。僕は最後のあのキスの印象があまりにも強烈で、日本を離れていた間にある意味光克を過大評価していたのだ。
僕は、絶対に失敗はしない、絶対に手に入れる、焦らない、怒らない、待つ、そう自分に言い聞かせていた。
おずおずと腕が背中に回され、僕はあいつに預けていた頭を離し、あいつのキスを待つ。……志峰の時の情熱が嘘のように、あいつは臆病そうに僕を探る。何故か知らないが、あいつは自分を抑えている、そう感じた。
何があいつをこんなに臆病にしているのだろう? 僕に対する不信? ……そうでないことを祈りたい。それでも光克の腕にはだんだんと熱と力が込められ、僕はそれに呼応するように熱くなっていた。僕は焦らないと決めたそばから、我慢できずにあいつのシャツを引き抜き始める。瞬間光克の舌が止まる。しかし、また動き始め、僕は上着の裾から手を差し入れるとあいつの腹に触れた。びくりとあいつは摩擦し、僕はそのまま左手で腰を抱き寄せ、身体に密着させた。右手であいつの背に手を這わせ、自分へと押し戻し、僕はさらに舌を奥まで差し入れる。あいつの肩がゆっくり上下し、僕は腰と腿であいつの股間を押さえた。あいつは一瞬腰を引いたが、またゆっくりと押し戻してきた。僕は、いける、と思った。リズムを付けて、腿を押し付ける。僕は唇を離し、荒い呼吸のあいつに囁く。
「……二階へ行こう。……僕の部屋でいいだろ?」
「……ああ…」
無言で部屋まで歩いた。はっきり言って、そのとき僕らの理性は身体の中心にあった。なんのための理性かは、聞かないで欲しい。ようするにカーテンを引いて、エアコンを入れるくらいの理性だ。それから服を脱ぐくらいの。
もどかしい気持ちで上着とシャツを脱ぎ捨てベルトを外しながら、ふと僕は、その部屋で音を立てているのがエアコンと自分だけなことに気がついた。
「?…」
「あれ?」という気持ちで何の気なしに振り向くと、光克はベルトに手をかけたまま思案気にどこか遠くを見ていた。僕は目をつぶった。
…見たくなかったからだ。見たくない光克だったからだ。
目をつぶったまま、僕は二つの選択肢のどちらを選ぶかを考えていた。有無を言わさずに後ろから抱きすくめベッドに押し倒すか、ベルトにかけられた手を外して服を拾ってやるか―――僕がどちらを選んだかって?もちろん選びたくないほうに決まっている。正しい道は大概選びたくないほうなのだ。
僕は音を立てずに深呼吸し、そっと光克の前に進み出てベルトの上の手を取った。
「光克…」
何か一心に考え事でもしていたかのような光克だったが、さして驚いた様子もなく顔を上げた。僕は微笑んで見せ、それから言った。
「……いいんだぜ、無理しなくても」
……良いわけない!ここまで来て!…でも出来るかよ!腕をねじり上げて無理やりキスでもするってのか!? 二度も失敗を繰り返す気はない。
「…帰りたければ送ってやるよ…」
心にも無い台詞を喋るのは、気が遠くなるような、まるで自分ではないような心地だった。そしてその気持ちを振り払うように僕は続けた。
「…星赤先輩のところまで」
それまで表情を変えなかった光克が、その言葉に瞬間息を飲んだ。
「…そういうことだろ?」
僕は駄目押しした。光克は何か言おうとして再び固く口を閉じた。
「光克…」
僕は、眉根を寄せ固く口を結び、俯き気味に立つ半裸の光克を見ていた。
僕と「寝る」ことは、そんなに覚悟の要ることなのか?
ずっとこうなのだろうか?
僕がおまえを犯っていた、あの夢はデジャヴだったということなのか?
そんなふうでなければ、僕はお前を抱けないのか?
…拒みはしない。でも受け入れもしない…
お前を抱きたい。
お前に触れたい。
お前を抱きしめたい。
お前と肌を合わせたくて、僕の肌は全開だ。お前という酸素を求めて喘ぐのが聞こえるようだ。
お前は僕を欲しくないのか!?
要らないなら要らないとはっきり言ってくれ!!
…僕は心中で泣き叫んだ。
僕を見つめ、僕を縛り、僕を煽る。
お前は手の届かないところから見えないロープで僕を拘束する。
いっそ抱き締めてくれ、身動き出来ないほどに。
それぐらいなら!
…僕は微笑みを崩さずにあいつを見つめていた。手は、まだ僕の手の中にあった。
―――このとき、僕はまったくわかってはいなかったのだ。光克が僕を受け入れるということがどういうことなのか。僕の愛情を受け入れるということ、僕にとってそれはイコール肌を合わせることでありSEXだった。そして受け入れないということは、そのまま拒絶でしかなかった。それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
光克は何を考えていたのだろう?何を見つめていたのだろう?
僕は、後になってよくこのときの光克の姿を思い出した。
群青 <2>へつづく…>>>>>
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